運動がヒトの進化に影響を及ぼしたという説があります.NHKスペシャル「ヒューマン」で取り上げられたのでご存じの方もいるのではないでしょうか.例えばカルヴィンという神経生理学者は,的あてのように正確にモノを投げるためには,脳内で多くの情報が処理されなければならず,このモノを投げるという運動が言語獲得やその他の技能獲得にも大きく貢献したと述べています(W. H. Calvin, Did throwing stones shape hominid brain evolution?, Ethology and Sociobiology, 3, 115-124, 1982).つまり,投石という運動がヒトの進化に貢献したというのです.確かに,モノを正確に投げるためには,さまざまな情報処理が必要で,かなり複雑なことを行っているのは確かです.

また,こうした投げることが協力関係の構築につながったという意味で,ヒトの進化に貢献したと主張する人もいます.進化生物学者のビンガムという人は,遠隔から殺傷する能力,つまり投げることとこん棒などで打つことから,他の動物のように近縁関係だけでなく近縁関係を超えた社会的な協力関係(kin-ship independent cooperation)が生まれたと主張しています.そして裏切り者は処罰しなければならないのですが,1対1で処罰するには処罰する側の危険性があり,これを10人で一人を処罰できれば処罰する側の危険性は軽減され,その際に遠隔殺傷能力(投げるや打つ)が役に立ったと考えます.そしてこうした仕組みが整うと,協力しないと罰せられる状況になったと考えています(P. M. Bingham, Human evolution and human history: a complete theory, Evolutionary Anthropology, 9, 248-257, 2001).そしてこの投げる動作やこん棒で打つ動作に必要な筋は大きくなるとともに,脳の容積も拡大したのだとしています.

こうした社会的な協調が脳を大きくしたと主張する研究者もいます.いわゆる社会的知性を持つためには,少なくとも原人らが持っていた脳よりもはるかに大きな脳が必要になったというのです (L. McNally, S. P. Brown & A. L. Jackson, Cooperation and the evolution of intelligence, Proceedings of the Royal Society B, 279, 3027-3034, 2012).確かに下の図をみると,アウストラロピテクスが385ccであるのに対し,ホモサピエンスはその3.5倍近い1,350ccもあるのです.

Leonard W. R., Scientific American 287(11), 78, (2002) より

以下の写真は,カナダのモントリオールにあるマギル大学の博物館を訪れた時に撮った写真である.iPadの使い方に慣れずピンボケではあるが,下の頭のとがったのがアウストラロピテクスで,その下の右上に丸いのがホモサピエンスの頭蓋骨である.投擲能力の獲得や発達は脳の容積の肥大化,あるいは協調行動と密接に関係し,それが知性の獲得につながっていったことは間違いないようである.我々の今の運動能力を失うことは,もしかすると知性を失うことになってしまうかもしれない.